essay

七夕

「伝統的七夕」というものを今年初めて知った。
七夕と言ったら7月7日だが これは現在の暦の場合で 月の満ち欠けによって日付を決める太陰暦(太陰太陽暦)を用いるとその日は変わってくる。そしてその太陰暦に基づく七夕を「伝統的七夕」と呼ぶそうだ。
「伝統的七夕」の日にちは 太陰暦での7月7日に近い日として 二十四節気の処暑を含む日かそれより前の処暑に最も近い新月から数えて七日目と定義されている。(国立天文台)
その日は毎年変わるが 2023年は8月22日。

七夕と言ったら織姫と彦星。
織姫と彦星と言ったら 天の川を挟んだ位置にひときわ存在感を放って輝いているVegaとAltair。
Vegaは「夏の夜の女王」や「真夏のダイヤモンド」とも呼ばれ 1等星よりも明るい0等星に分類されている。私の好きな星のひとつ。

七夕のお話はここで説明せずとも世に知れ渡った昔話で この日は一年に一度の織姫と彦星の再会をみんなが願う。雨の日は天の川の水が溢れて再会できないというお話しだったから自然に天気を願った。現在の暦の7月7日はちょうど梅雨の頃で 太陰暦でも台風の時期と どちらにしても再会はたやすいことではなさそうだ。いつの頃か 雨が降ってもカササギが二人の再会を助けてくれるという説を聞いて喜んだこともあったが 今の私の見解は 雨が降ると再会できないストーリーの方が断然推し。

一年に一度 必ず会える という確実性と
会えるかな 今年は会えなかった でも次は… という可能性。

哲学者セーレン・キルケゴール曰く
「人間が生きるために必要なのは可能性であって 可能性の実現ではない。」
つまり あるひとつの可能性が実現したとしても それによって 次のより高い可能性を求める衝動が起こり ついには満たされず結局絶望に終わる。むしろ可能性の実現によって次の可能性のハードルが上がり より大きな絶望を味わうことになってしまう。それなら可能性のままで実現しない方がいいと。

私は 彼の提唱を支持しているというわけではなくて 必ず確実に再会できる状況が 大切な日を毎度のイベント事にしてしまい いつしか特別感の薄れた日常に移り変わってしまうような気がして…
それよりも 自分の力が及ばない そういうどうしようもない人生の苦みのようなものを味わい 受け入れることによって 自己鍛錬され 自分の中にある愛する人への思いを俯瞰的に捉えられるようになることで 余計なものは削ぎ落して より純度の高い愛へと昇華できるような気がするから。
人生の中で予期せず味わう痛みは いつも私を成長させる可能性を孕んでいる。私はそれに応えたい。
次に再会するときは お互いに魂の成長を果たして 共に労り合い 称え合い 喜び合いたい。

May it will become sunny.