教科書
仕事の関係で 小学校6年生の社会科の教科書を見る機会があった。私が6年生の頃の教科書がどんなんだったか覚えていない。社会の成績が悪かったというわけではないけど、社会という科目に興味がなく故に好きではなかった。小学生の頃に 縄文時代と弥生時代以降は何を習ったのかほとんど覚えてない。社会科で習うことは 随分大人になってから見聞きして得た知識の方がはるかに多い。
小学校の教科書だからか 1つ1つの出来事についての説明はとても簡略なもので それに 仮に私が大人になってから得たものを正とすると それと比較して ニュアンスに違いがあったり 誤解を招きそうなものだったり 説明が不十分だったり 表面的だったりする。それが起きた年月日は変わらないんだろうが。
事実は1つだとして その原因や引き金 発端 トリガーなど それに付随する解釈は どこから見るかで変わってくる。そういった意味では その1つの事実さえ 唯一でなくなってしまうこともある。テストの解答用の ”事実” という 世間におけるみんなの共通認識ということで そういうことにした ”事実” ということであって 数ある事実の中の1つに過ぎない。この教科書に書かれていることは この教科書を作った人の考えであり といっても 実際のところは その人が本当はどう思っているかも変わらない。ただスタンスや立場はというだけ。
この教科書で社会科を学ぶ児童たちに一石を投じるとしたら 私はどんな問いを投げられるのだろう。