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トリックスター

学校ではクラスとかクラブとかPTAとか、会社では課とか部とか、その他社会の中には、ママ友とか、町内会とか、コミュニティーとか、サロンとか、人の集まるグループはたくさんある。大抵、それらの組織はピラミッド構造になっている。
例えば学校のクラスでは、担任の先生がいて、その下に学級委員がいる。その下のその他大勢のクラスメイトの中にも、優等生から人気者、お調子者、落ちこぼれ、問題児、普通の子、いじめっ子など、場面によって流動的ではあっても上下の関係がある1つの場に属している。
人気者なら人気者を、問題児なら問題児を、敢えてその役割を演じてるという子どもは少ないだろうが、大人の世界になるとちょっと違う。

大人の世界では、意図的にアホキャラ、意図的にダメキャラを演じる人がいる。
そう言えば、織田信長は、民衆から ”大うつけもの(大バカもの)” と呼ばれていたと、織田信長の家臣戦国武将である太田牛一が記した『信長公記』にあるらしい。
それまでの仕来りや習わしに従わず、武士の息子でありながら身分にこだわらず町の若者たちと戯れていたようで、恰好は湯帷子(ゆたかびら)を袖を外して着、髷は茶筅髷(ちゃせんまげ)と呼ばれる髪型で派手な色の糸で巻き上げ、腰には幾つもひょうたんをぶら下げるという奇抜なファッション、栗や柿、瓜などをかじりながら歩く行儀の悪さだったらしい。

信長の奇行として有名なエピソードは、父信秀の葬儀での一幕で、位牌に抹香を投げつけて帰ったという話がある。また、信長の教育係だった平手政秀は、信長が大うつけになったのは自分のせいだと責任を感じて切腹したという。

一方で、信長を評価した義父斎藤道三との会見のエピソードもある。
どこまで本当の話なのかは分からないが、後々、道三は信長に美濃国を託すことになる。
信長がうつけものと呼ばれるようになったのは青年の頃からで、それより以前はかなりの優等生だったという話もある。水泳と馬術を得意とし、弓・鉄砲・兵法も学んだ文武両道の若武者だったらしい。”大うつけもの” とは、暗殺を未然に防ぎ、敵を油断させるための演技だったんだという説。

現代においても、「おいおい、あの人大丈夫?」なんて思われてる人が、実は視点の高い、よく見えてる人だったりして…。