問い
誰でも一度は、自分がこの世に生まれた意味や目的を考えたり、求めたりしたことがあるんじゃないかと思う。
「どうして私は生まれてきたんだろう」と。
ジャン=ポール・サルトルは、人間は対自存在だとしてそれが持つ可能性を提唱した。人間には意識があるが故に、自分自身を意識する対象として捉え、自分の存在意味や目的を考える。逆に人間以外の即時存在(例えば石ころ)は、その時にそこに存在しているだけであって、なぜ存在するのかなど感じても考えてもいない。
そして人間は、道具のように何かの目的が先にあって作られたのではなく、意味や理由よりも先にいきなりこの世界に投げ込まれ、あらかじめ何者になるかは決まっていない、何にも規定されていない存在であるから、何者にもなる可能性を孕んでいる存在だと。
人間は何者でもないからこそ、私たちは自由に自らをつくっていくことができる。或いは、私たちはそういった宿命を背負わされている。人生を即時的に生きることできるし、主体性をもって自分の在り方を選択することもできる。だから自分が選んだその選択こそが、私が存在する理由や目的に対する答えになる。
つまり、私たちは問う側ではなく問われている。
「どうしてあなたは生まれてきたのか?」と。
我々が人生の意味を問うのではなくて、我々自身が問われたものとして体験されるのである。人生は我々に毎日毎時間問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである
ーヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』より